石を売る

無能オヤジの無能ブログです

限りなく透明に近いピンク

関東は桜が満開になってきました。

わたしの家の近くには里山の雑木林があって、そこに桜がある程度密集して林立しているのでそれなりに壮観です。さらに雑木林の前にある人通りの少ない細道の前までに畑が広がっているので―と言っても都会水準で見ればという広さななのですが―視界を遮るものがなく桜を眺められますので、私道のところで立ち止まって観桜したり写真を撮ったりしている人がけっこういます。 

関東方面は桜の季節は新年度のスタートの時期になるので、まさしく桜色のウキウキした気分の人は多いでしょう。わたしもある時期まではそうした気分を味わっていました。

 

わたしは以前は学校―と言っても専門学校、塾、予備校―の教師・講師をしていました。ので、4月は毎年新入生が入り雰囲気がフレッシュになります。もちろん新年度のスタートに合わせて授業も新たにスタートするのでその準備でてんやわんやの時期でもあります。でもそのかたわら、新しく学校に入ってきた10代の男子女子の無邪気な表情―この時期はまだ無邪気に見える―を見ているとこちらも気分的には明るくなります。そしてその頃の桜はまさにドピンクに見えたものです。 

ただそれは4月のほんの最初の時期だけで、すぐにだらけますけどね(苦笑)。 

 

この教師・講師は10年以上続けたのですが、最終的には体調を崩して辞めざるをえませんでした。これについては追々書きたいと思います。 

その後、フランチャイズで学習塾を始めましたが、これは起動に乗る前にフランチャイズ元が倒産してしまった(苦笑) ただこれは安易にフランチャイズに頼ろうとしたわたしがバカだったということです。

 

それで致し方なく、今度はまったく畑違いの中小企業―と言うより零細企業―に就職。いちおう会社の形はしていますが、実態は個人事業のコンサル事務所を会社化しているだけです。それでも従業員は5人程度いました。 

これがまたとんでもないブラック企業(T_T) 当時はまだ「ブラック企業」という言い方が普及していなかったのですが、ブラック以外の何色でもありませんでした。

そうした職場で働いていると4月になって桜が咲いたからと言って忙しくて花見などできるわけもなく、毎日夜遅くに帰る途中に夜桜を見上げてもブラックにしか見えません。というかそもそも見る気もしない。

今思い出しても腹が立つことが多いのですが、その反面今だから笑って話せるところもあります。ここではネタも多いので(笑)これも追々話していきたいと思います。

 

そして結局そこも辞めて、現在は図らずも専業主夫状態。とはいえ「専業主夫」としての技能が見込まれてそうなっているわけではなく、「おまえはそれしかできないだろう!」という家庭内の空気でそうならざるをえなくなっているだけです。

 

そうした境遇の中で今年もまた桜の季節を迎え、桜を眺めていると何か不思議な色といいますか、限りなく透明に近いピンクとでも言いましょうか、たぶんつげ義春が雑貨屋なんか始めた時期に眺めた桜の色もこんなかんじだったのかなあ、というような色です。

4月なのでブログを始めてみました。ただ空気読めてません。

今日は4月1日です。

言うまでもなく年度始めです。

 

勤め人の方は職場の異動もあり、仕事の引継ぎや取引先の挨拶回りなどで慌しい一日かと思います。新人の方は新たな職場で緊張しっぱなしの一日だったかもしれません。転勤や転居した方はいま新居のセッティングなどでてんやわんやかもしれません。

 

わたしもほんの2年ほど前まではそのような生活でした。

しかし仕事を辞め、その後フリーないし自営業、ということにしといて実質「食っていけるほど」稼いではいないません。実態としては「専業主夫」です。

家族は妻子がおりますが、妻子は妻のパートに毛が生えたような仕事でなんとかかんとか生活している状態です。いちおう同居はしているのですが、妻子とは必要最低限のコミュニケーションしかなく別居してても何ら問題ない状態です。

わたしとしては別居のほうが気分的にも楽なのですが、当然のことながら食事・洗濯等の家事全般はわたしがしていますので、妻子としてもわたしがいないと困ることは困るわけです。

ほぼそれのみを理由にして、とりあえず一緒に生活しております。

 

別居して独り暮らしを始めたら、ほぼ間違いなく「孤独死」すると思います。

 

現在の日本社会には、わたしと同じような境遇の人がけっこういるかもしれません。直接的には社会に何の役にも立っていない「無能の人」は前近代の社会であれば当然「淘汰」されていたと思います。

現在の日本社会ではそう簡単に淘汰されないに仕組みになっていますが、今後どうなるかは予断を許しません。「淘汰」されるのは致し方ないので甘んじて受け入れますが、そのまえにわたしのような人間の足跡を残しておくと、少なくとも「この道はあかんかった」ということは示せるかなと思う次第です。

 

いろいろな意味で今後どうなるか予断を許しませんが、しばらくパソコン相手にモノローグをしていきたいと思います。世間では新年度が始まりウキウキした雰囲気のところ場違いな空気を持ち込んで恐縮ですが、どうぞ宜しくお願いします。